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【コラム】その離婚待って!
離婚予備軍のご夫婦さんへ(3)

1996年11月 東京湯島・金属バット殺人事件
団体職員A(当時52歳)。自室のベットに寝ていた長男M(当時14歳)を金属バットで殴り殺害した。1994年Mの家庭内暴力は12歳の時から始まる。いつものように朝おこしに来た母親を殴りつけ薬瓶を顔面に投げつけた。3日に1回母親に暴力を振るうようになった。母親を土下座させて頭を踏みつけ顔面を床に打ち付け歯が折れるほどの怪我をし、口から血を出して母は泣いた。
1995年1月 父親Aにも暴力の矛先が向けられる。Aはサンドイッチを買って来いと言われ買ってきたが、Mはそれを気に入らずAの顔面を蹴る。Aの鼻は折れ曲がってしまい、整復手術をした。MはAと母親に直接的な暴力をふるうだけでなく、高価な洋服その他の物品を買いに行かせて買ってくると、それが気に入らないから返してこいとたびたび命じたり、父親に毎日深夜、早朝のテレビ番組の録画を命じた。

東京地裁での公判。弁護側証人 精神科医の証言
「長男の暴力により、過酷なストレスが生じて、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥っていた。このような状態では、親子が同居するのではなく、公的機関が引き離すべきだった。被告人にしてみれば、強制収容所にいるようなもので、もはや解決不可能の心理状態だった」
母が弁護側証人として出廷(Aとの生活が地獄だった証拠)
「夫はつらい拘置所の中にいるのに太った。つらい拘置所の中にいるのに柔らかな顔になったんです」と証言した。

1988年7月 目黒・中2少年の家族3人殺人事件
父(44)会社役員 仕事が多忙で家庭内のことをかまけていた。少年の母親と父方の祖母が不仲。少年は、就寝中の両親と祖母を包丁でメッタ刺しにして殺害。母親について「何も母親らしいことをしてもらわないのに、勉強しろ。と口ばかりうるさい」。父親について「酔って帰ってきては当たり散らす」と供述した。

1988年11月 女子高校生コンクリート詰め殺人事件
18歳Aは埼玉県三郷市内で当時17歳の女子高校生をわいせつ目的で拉致。ホテルに連れ込み強姦した。その後、A、17歳B、16歳C、17歳Dの4人で東京都足立区のCの自宅に女子高校生を41日間監禁して殺害。死体をドラム缶に入れコンクリート詰めにして江東区若洲海浜公園空地にドラム缶を捨てた。
典型的な団塊の世代の親とその子たちの事件。

主犯格少年A
  母には、勉強しないと敷居のところに正座させられ具合が悪くなってゲロ吐くまで怒られた。両親の間では、何度も離婚話が持ち上がった。Aは、母親から父親の悪口を聞かされて育った。両親は家庭内離婚の状態だった。
高1のとき母親を全身打撲になるまで殴ったり蹴ったりした。椅子とかで殴ったりガラスを割ったり電話を叩き壊したり、形のあるものはすべて壊さないときが済まなかった。中退してからタイル工になり、やくざの組事務所に寝泊まりして使い走りをやり、シンナーにおぼれていく。

少年B
Bが小学入学の頃は、父親が、別の女性と暮らし始め父母は別居状態となった。新しい女性におぼれ、家庭を捨てた。母はいつもイライラしていた。躾も厳しく幼いころから靴べらや掃除機の棒、布団叩きなどでよく叩かれた。きびしい親でしかなかった。
父親自身も小学2年の時両親が別居、母親に育てられている。母親も女手一つで育てられている。父には別の家庭があった。

少年C
仕事一筋の父親はCに厳しい体罰を振るった。Cが決められた家事分担をしないと夜中でもCをたたき起こして叱った。泣いて逃げる少年を追いかけて殴ったり、深夜外へ引きずり出して公園を走らせた。14歳中2のころから「腹が減った」など単純な理由で始まった母親への暴力は事件直前16歳から狂暴化する。
「革ジャンを買う金をくれ」というCに「お父さんからもらいなさい」と答えると母は顔面を何度も殴打された。失明寸前まで殴られた。
容赦ない息子の暴力が父親に向った。「殴るなら殴れ」と、父親は自分の頬を出した。親に手を上げる息子から返ってきた答えは、「お前が、俺の小さいころにやったことだ」だった。父は都合が悪くなるといつも酒に逃げた。父親不在の家庭だった。


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