水戸興信所 探偵よろず日記


私のような被害者が出ないように、出会いから離婚訴訟を起こすまでの出来事を詳細に述べてみます、私は夫と職場で知り合って結婚しましたが出会いから異常でした。

1.出会いから新婚までの経緯等
夫は東大卒で日本有数の電力会社に勤務しています。
彼から私の両親に対し「結婚を前提にお付き合いさせて欲しい」と申入れがあり、両親が承諾してお付き合いを始めた。しかし、付き合い始めた当初から、自己中心的な性格であった。一例をあげると、私が待ち合わせ時間に5分遅れたことがあったとき、彼は私を罵倒しながら遅刻を攻めた。こんなことでこのような怒り方をする人を見たことはなく彼に不信感をもった。
やがて彼からプロポーズされたが、生活観の違いから結婚してもうまくいかないと思い、プロポーズを断り別れることにした。が、彼は納得せず私に会うため執拗に私の家にきて居座るようになった。私は帰宅できず一週間ほどビジネスホテルに宿泊した。どうしても居座りが続くため彼の上司に来てもらい、彼を強制的に帰宅させることがあった。そうしたところ彼は会社を辞めると言い出し、〇県にある彼の実家に帰り、そこから私の家に連絡してきて「〇県の実家に来てほしい」と言った。私は、彼がこれほどまでに私を必要としているのかと思い、彼のプロポーズを受け入れた。私は彼と結婚し、茨城県内に住みやがて長男和也が誕生した。
2.婚姻の破綻
(1)婚姻を継続し難いこと
夫の、私と長男に対する思い遣りのない態度、身勝手且つ自己中心的気分屋の性格と首尾一貫性のない言動、育児への非協力、妻の私に対し繰り返される侮辱と侮辱的言動などにより、夫に対する信用、愛情を喪失したことが、夫婦間の「結婚生活を継続し難い重大な事由」です。そして、私が離婚をはっきり決意したのは、後述する幼い子供の目の前でワイングラスを叩き割る暴力的な行動を契機に、それまで必死に耐えてきた夫の言葉の暴力や脅迫的な行動にたえられなくなったときです。

(2)具体的なこと
① 結婚当初
a ある日、夫は友人とゴルフに行くと言って出かけたがそれは嘘で、実は女性と会っていた ことを夫の携帯のメールをチェックして知った。その日夫は午前0時過ぎに帰宅した。携帯 電話を必ずロックしておく、明け方帰宅するなどいくつか不信感を抱かせることがあるの で夫に問い詰めると、ゴルフだと嘘をついて実は女と会っていたことを認めた。結婚して 半年程度でこの行為に私は夫に大きな不信感を抱きました。
b 夏ころ、私が食中毒にかかり病院に行かなければならない状態なのに夫は連れて行ってく れず私は父母に病院に付き添てもらった。私は、夫婦としての配慮が夫にはないと感じま
した。
② アメリカ出張中の出来事
a 夫がアメリカに出張することになり、私に会社を辞めてアメリカについてきてくれるよう に頼んだので私はやむなく退職して夫に同行した。向こうの生活でケンカすることが度々 あったが、「自分の意思でついてきたのだろう」「会社を辞めたのも自分で決めたことだ ろう。」などアメリカに赴任前に自分で言ったことと正反対のことを言った。
夫の発言は、常に首尾一貫しておらず気分しだいでころころ変わるのです。また、ケン カのときには、「荷物をまとめて日本に帰れ」などと言った。このように生活の中で優し さに欠ける行動が続くため私はホームシックにかかったが夫は顧みることもなく一人で自 由気ままに旅行をしていた。

b 私は、夫の自己中心的な言動に嫌気がさして二度帰国したが、私の母がいれば二人の諍い も緩和されると考えてアメリカに戻る際母に少しの間同居してもらうことにした。しかし 母を交えた生活でも性格に変化は生じなかった。例えば観光の時、田舎出の母親を気遣う こともなく自分で行きたいところだけを連れまわすだけで、地下鉄を一駅乗り過ごしたと き、夫は母に向かって「早くしないから乗り過ごしてしまった!」と嘆いたり、お土産を  たくさん持って帰ろうとスーツケースに詰め込んでいたときも「そんなに荷物を入れた  ら、重量オーパーらなりますよ!」と軽蔑の目で言うのでした。このように人の心情を理解 できないのであり、このような性格が夫ととは一緒にやっていけないと考える理由です。

c アメリカでの生活で、私はテレビ・ラジオもない部屋で生活をさせられ、インターネッ トは1日1回と制約され、生活費として与えられた金額だけ使うことを許されただけの生活 でした。夫は私に無駄使い等認めないのに、自分で平気で贅沢をする。このような夫に対 する違和感、不信感は募る一方でした。

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