アルコール依存症の父に育てられた夫 2
※これは依頼者から提供された資料の掲載の同意を得たものです。
●日常生活
朝起きてさわやかに「おはよう」が言えない生活。
たとえば、冬は電気カーペットを敷きコタツに入って寝ている。その寝姿はおぞましく見苦しい。コタツから足半分をだし、シャツは寝乱れでグシャグシャ、そのまわりには夕食の食べ残し、茶碗やたばこの吸い殻、みそ汁の具などが散乱している。テレビや電気は点けっぱなしで朝を迎える。歯磨き洗面は決して洗面所に行かず、必ず台所の流しでやる。私が流しを使っていても横で空くのをじっと待っている。
夜中に帰宅して、ガスを付けたまま寝てしまい、これまでに何十個鍋類をダメにしたかわからない。焦げ臭いにおいで一階に寝ている義父が気が付いてガスを止めるので大事に至らない。夜中2時頃ロレツがまわらない電話してきたり、車中で寝てしまうらしく帰宅しないことも度々。私宛の電話を受けてもその伝言を忘れて私には伝わらない。ボーっとしていて会話が成り立たない。子どもとの約束も忘れてしまう。いつもボーっとしてタバコをふかしている。使い終わった綿棒や楊枝はどこにでも放置しけっして物をゴミ箱に入れるということができない。
車の中はゴミ箱よりひどい状態で、ビールの空き缶はもとより、たばこ、つまみの空き袋、梅干しの種、湯呑み、楊枝などが助手席の足元に山のようにゴミがたまっている。腐敗した悪臭が車内に充満していても気に留めない。
靴下はどこへでも脱ぎ散らかす。箪笥を開けたら開けっ放し引出などを閉めることができない。出勤も休日も同じ服装でいて生活の区切りができない。夜中でも足音高く歩き回り、ドアの開閉も加減ができない。私の足を踏んづけても平気だ。家族が寝ているから、夜中だからなど心使いの神経がない。
土日はただひたすら居間のカーペットで寝ている。テレビだけが友だちのようで、無表情で飽くことなく見ている。人間的なぬくもりが感じられず抜け殻のようだ。
優しい言葉などかけてもらったことがない
何度も何度も夫婦のあり方、子どもの教育、夫としての責任や家族のあり方など話し合ってきたが、主人はいつもそのような話になると、一言も発せずただただ私が話し終わるまで沈黙している。「どうなの?」と聞いても明確な返事がないばかりか、その大事な話の最中に「明日の天気はどうなんだ、曇りなのか雨なのか」などと平気で言う。こんな生活が続いて私は気がおかしくなってしまうと思い、ついに家庭内離婚の状態に入った。他人だと思えば、ただの同居人だと思えば腹も立たないと思ったからだ。もちろん夜の夫婦生活もなく、最低限の会話しか交わさず、夫の目さえ見ない生活がもう5年も続いている。「生活をもう一度立て直そうとか、俺たちはどうなっているんだ」など夫からの話はない。
毎日が平和に過ぎ去っていくがごとく夫は生活している。家庭内離婚に踏み切るときにこのような情景は予測できた。多分私がこのまま生活を続けていけば一生このままで終わると思う。ただ時間が流れ、子供も成長し、私も老いていく。毎日の生活がどうであれ時間が流れ月日が機械的にすぎていく。夫にとって生きるということはどうもそういうことらしい。
私は真っ平ご免である。私は自分の人生を生きていきたい。子どもたちにも、生きているということは素晴らしいと思える一生を歩んでほしいと願っているし、親としてそれを教えることが責務だ。そのためには何としても現状から脱出しなければならない。
探偵の眼
前回、アルコール依存症の父親に育てられた夫 1 で精神科医・高橋竜太郎著の一部を転載した、 ・・・そうした子どもは感情の安定性や理性的な判断を親からもらえずに成長するため、ある子どもは抜け殻のようになり・・・
夫、磯野和人は精神科医・高橋竜太郎の指摘するアダルト・チルドレンのようですね。
妻、亜紀さんは子どもが小学5~6年生になるまでじっと耐えていたのです。磯野家の荒涼とした家族関係の中で心も折れずに母親の役目を果たしてきました。筆者のところへ来たときも笑顔が絶えず考えが前向きなのです。とっても聡明な女性だと思いました。
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